365日のシンプルライフから学ぶこと
いろんなミニマリストさんのブログで紹介されていたドキュメンタリー映画「365日のシンプルライフ」
結構前から知っていて見てみたいなと思っていたら、最近Amazonプライムビデオで見られるようになっていました。
うれしい!!ということで今更ですが見てみました。
※ネタバレもあります。
26歳のペトリという青年が、物に溢れた部屋には幸せがないと感じて、倉庫に全ての持ち物を預け、1日一個必要なものを持ち帰る実験を1年間を通してするというドキュメンタリー。
北欧ならではの静かな雰囲気のなか淡々と進んでいく映画。途中ペトリが泣いたりして情緒不安定で微妙に暗いし(暗い映画が苦手)、エンターテインメントとしてはおすすめできないけど、物が溢れる暮らしに違和感や疑問を感じている人にはすごく為になる映画だと思いました。
着るものも全て倉庫に預けて何もないガラーンとした部屋と裸でスタートする新しい生活。
今までどれだけモノに依存していたのかがわかる。
そしてどれほどモノによって幸せに暮らせていたのかがわかる。
だけどモノが私たちを幸せにしてくれるわけじゃない。
「持っているモノの多さで幸せは計れない。
人生はモノでできてない。」
というペトリのおばあちゃんの言葉はまさにその通りだと思った。
家族や友人関係、恋人との関係、自然を楽しむ生活、モノではないいろいろなところに幸せはある。
そしてもし自分だったら??ってつい見ながら考えてしまう。
ペトリは最初コートから持ち帰ったけど、今私がこの実験をやるとしたら。ワンピースかなぁ。上から下まで覆ってくれる。
やっぱり裸で過ごすって寒いのはもちろんだけど、きっとすごく心細い。服を着ることで得られる安心感ってあるんだろうなと思う。
その次は靴。裸足で歩くのはきっと無理だから。
そして掛け布団。私にとって寝ることはすごく大事なこと。
その次はタオルかなぁ。濡れたまま自然乾燥は耐えられない。
こうやってひとつずつモノと、そして自分と向き合って必要・不必要を見極めていくと、生活にほんとうに必要なものってきっとそんなに多くない。
不自由なく生きるためにはそれで十分なんだけど、それでもやっぱりただ生活するためだけの暮らしは味気なくて心が満たされない。
ペトリが実験した結果は
生活のために必要なもの、100個。
その次に生活を楽しむために必要なもの、100個。
6年前くらいからモノを減らし始めてだいぶ以前よりすっきりした暮らしにはなったけど、きっとまだ私が持たなくてもいいものはあると思う。
普段の生活の中でつい忘れてしまいそうになるけど、モノを所有するということはそのモノに対しての責任を負うということ。
ずっとわからなかったマイヤの顔が、最後のシーンで明らかになる。これはマイヤ(恋人)を自分の人生に取り入れる=所有する決意をペトリがしたからなのかなと思いました。そこはちょっと印象的だったかも。
人生を豊かに楽しんで過ごすために、それでいてモノに支配されることがないように、私もまた改めて身の回りにあるモノ(人間関係も含め)と向き合っていきたいなと思いました。
ちなみにちょっと気になったのは、マイヤの自転車のロックと冷蔵庫。
1人で奮闘するペトリ(弟まで巻き込んで)を見て、マイヤが自分でやればよくない!?
と見たときは思っていたのだけど。
でもそのモヤモヤは私の固定概念からくるモヤモヤなのかもしれない。
ペトリはものすごーく優しい男性で、女性を甘やかしてあげたいタイプなのかもしれない。マイヤも私がやるわって言ったのにペトリが1人で大丈夫って言ったのかもしれない。
そうだとしたら、マイヤはすごく幸せもので、ペトリは頼もしい男性ってことになる。
きっとそうなのかも。
なんかすっきり!自分の中で解決した!
私のガチガチな概念も手放させてくれる映画。
365日のシンプルライフ。
…結局最後、なんの話。